第一部(3月14〜20日)/第二部予告(3月21日)

病院にPCを持ち込んで日記を書き始めてから、手術前までの1週間の出来事を綴っています。
当初はすぐに退院できることを誰一人疑っていませんでした。・・・検査をするまでは。
あの「3月20日」事故をしてしまったことよりもショックな出来事が起きたのです。
私の気持ちは一気にどん底まで落ちていったのでした・・・

3月14日(木
最近、パソコンを携帯に繋いでインターネットができるようになった。
しかしながら、病院内は携帯電話が使えない。
ネットに繋ぐためには一度外に出なければならず、それがちとつらい。
私はまだ多少動けるようになっただけなので、
一人で歩いて外に行ってはいけないのだ。
だから親に車椅子で連れて行ってもらっている。
テレビはいらないから、ネットにつなぐための回線がほしい。
病院はつくばだからケーブルテレビが通っているし、
なんとかならないのかなあ・・・
ただ、周りを見渡しても20代の患者は私だけ。
インターネットをやる人はほとんど皆無だったりする(笑)
聞くところによると、若い患者は半年に一人くらいしか来ないらしい(笑)
私はかなり異色の患者なのだ。
まあ私のいるところが「脳外科」だから仕方ないか・・・

あー、外出してラーメン食いたーいっ!!
週に2回は食べてたのにっ。


3月15日(金)
もうすぐ入院して2週間だ。
それにしてもこの2週間はめまぐるしかった。
病院に運ばれた当初は本当に何もかもいっぱいいっぱいだった。
ただ上を向いたままの状態。
全く動けないのがこんなにもつらいとは。
食事もトイレもすべてベッドの上。
寝返りさえ打てず、ずっと仰向けだから、腰が痛くて痛くて・・・
痛み止めをうっても痛くて全然眠れない。

でもそのとき自分が不幸だなんて全く思わなかった。
というのも負傷箇所が首だっただけに、即死でも全然おかしくなかったから。
しかも、神経に損傷が見られなかった。
これは自分でも奇跡的だと素直に思えた。
「生きてて良かった」
まさに本当に生と死は紙一重だった。

神様っていうのは本当にいるのかもしれないな。
「神様」という呼び方には多少抵抗があるが、
そういう「存在」がいることを今は無性に信じたい。
死ぬかもしれなかった私は、何らかの理由で生かされたのだろう。
そう思いたいな。
自分にはやり遂げるべき何かがあるから、何かしら社会に必要とされているから
だから今ここに生きているんだ。
そう思うと今回の事故が不運なのではなく、
必要なことだったのかもって思えてきたりもする。
しかし、いろいろな損失を考えると、そんなこと言ってられないけど・・・。

まあとにかくいろいろ考えられる余裕が出てきたのはいいことだ。
この調子で前向きに生きていこう!


3月16日(土)
病院に来て気づいたこと。
それは病院内は茨城弁使用率が極めて高いだということ。
というかほぼ茨城弁。
患者さんもお見舞いにくる人もだいたい茨城弁。
私は病院の場所がつくばだから結構標準語の人が多いと予想していたが、
予想は見事に裏切られた。
やはり私の親の世代以上はみんな茨城弁なのだ。
結局昔から茨城に住んでいる人はみんな茨城弁で、
標準語を話しているのは県外から引っ越してきた人だけなんだよなあ。

そういえば私のHP内にあるメインコンテンツ「茨城王」が
ジャストシステムが運営する「全国方言Webほべりぐ」のリンク集に掲載されることになりました。
掲載は20日だそうです。ちょっと楽しみです。


3月17日(日)
体重が減ってしまったよー。
今日体重測定したんだけれど、
ギブスを付けたままで61kgしかなかった。
ギブスは2kgくらいありそうだから、実質59kgだ。
あーあ、5kg増やすのに半年かかったのに、
2週間で減ってしまうなんて・・・
怪我が完治したらまた頑張って増やすしかないね。
プロテインでも飲むか。

全然関係ないけど鈴木宗男ってミニラ(ゴジラの息子)に似てるよ。


3月18日(月)
あー、やっぱヒマだよなあ。
HPを作るにしても、素材やら参考にするHPやらは
ネットに繋がないと見れないからなかなか先に進まなくて・・・
なんだか家に帰りたくなってきちゃったよ。
でもねえ、家に帰ってネットができるのはいいけど、
ずーっと家で一人でいるのも寂しいしね。
それに看護婦さんのサポートがないと生活できるかどうか。
結局どっちもどっちなんだよねー。
ふーっっ、愚痴ってしまったよ。

でも私が入院している間にもいろんな人がこのサイトを訪れてくれて
それはやっぱりうれしいな。
「はじめまして」とか、「HP見て感動しました」とか、
メールや書き込みがあると、HP作っててよかったー、と小さな感動がある。
実際に会って話すことには到底及ばないが、
インターネットを通じて人とつながってるっていう実感は充分持てるんだ。

みなさん、励ましのメッセージ本当にありがとうございます。
病院という環境上、個別に返事を書くことができませんが、
内容はすべて見させていただいています。
これからも応援よろしくお願いします。


3月20日(水)
第一部完結編
これが手術前最後の日記になるかもしれない。

ショックだった。
「奈落の底に突き落とされた」
昨日はまさにそういう感覚だった。
退院に向け順調に回復しているはずだった。
でも知らない間に逆の方向に向かっていたのだった。
「悪化」
まさか信じられなかった。
首の骨が入院時よりもずれているのだ。
なぜそんなことになってしまったのだろう。
考えたところで現実は変わるはずはない。
このまま骨がずれていくと、神経や血管を圧迫して、
ジ・エンド
だから残された道は一つしかない。
手術すること
手術して首の骨を直接器具で固定しなければならない。
しかもその前にずれた骨を元に戻す必要がある。
そのためには頭蓋骨にピンを打ち込んで
頭ごとを首を吊り上げる処置をする。
あーたぶん坊主頭だよ。
しかも頭にピンを打つなんて、考えただけでも・・・
とにかくまずその処置をして首の骨が元に戻ったら手術だ。
だからまだ手術の日程はわからない。
早く元に戻れば1週間以内かもしれないし、もっとかかるかもしれないし

それにしても1日にしてこれほど状況が変わってしまうとは。
その「落差」が大きくて大きくて・・・
動揺、不安、落胆
昨夜は否定的な感情ばかりがあふれかえっていた。
しかし考えつかれたせいか、いつの間にか眠ってしまっていた。
今朝はそれなりに食欲もあった。
少しずつ現実が受け入れられるようになってきたかな。

もう医者のいうとおりにするしかない。
身を任せるしかないんだ。
自分の力ではどうすることもできない
自力では何もできないというのはつらいね。
今までの人生の中で、私は自分でどうにかやってきたつもりだ。
もちろん自分の力だけでやったという意味ではなく、
自分の人生に主体的に関わってきたということだ。
ただ今回私が自分で何かできるとすれば「メンタル」な部分だろう。
やはり否定的な考えを抱いているよりも
現実を肯定的に受け入れ、前向きに考えたほうがいいに決まっている。
「あきらめず、絶対に治すんだという強い思い」
それを持つことが今の自分にできるベストの行動
「頭」ではもう全然わかってるんだ
しかし「心」はまだ頭に追いついてないから、
「がんばるぞ」という頭と「どうしよう」という心が複雑に混ざり合っている状態なんだ。
それもじきにうまく融合してくれうといいな。

とにかく手術することは決まった。
手術するなら絶対に治したい。
元の状態に戻りたい。
私は現実を前向きに捉えるよう頑張ります。
みなさんも私が復帰できるよう祈っていただけないでしょうか。

日記はとりあえず今回で「第一部完結」ということにしたいと思います。
もちろん、パソコンができる状態であればHPを通じて経過を報告します。
もし、なかなか更新されないようであっても、
時々HPを覗いてみてくださいね。
手術が終わって状態が良くなったら必ず更新しますから。


入院生活日記 第一部 



追伸:
23日は私がとても楽しみにしていた結婚式があります。
結婚する2人のキューピット役である私はスピーチもすることになっていました。
出席できないのはとても残念です。
電報を送ろうかと思っていたのですが、
23日私がどういう状態なのかわかりませんので
この場を借りてお祝いのメッセージを伝えたいと思います。

サブ、越智さん 結婚おめでとう。
俺は2人のキューピット役だから
これからも2人の結婚生活を暖かく見守っています。
越智さん、あんまりサブをいじめないようにね。
サブはおだてると生き生きするタイプだから、
1日1回は誉めてあげよう。
本当におめでとう。幸せになってね。


3月21日(木)
第二部予告編
昨日でひとまず最後になるはずだったが、
頭の固定が明日22日に延期されたので、
今日も日記を書くことにした。
自分の考えを文章化することって、
結構癒しの効果がある気がする。
それはある意味自分を客観視する手段でもあるからだろう。
客観的に自分の状況を捉えることによって
多少なりとも不安が解消され、現実と冷静に向き合える。

事故から明日でちょうど20日だ。
今更だけど、私は事故ってしまったんだよなあ。
しかももうちょっと衝撃が強かったら命が終わっていたんだ。
今考えてもぞっとする。
でももしかしたら死んでいたかもなんてやっぱり現実味がない
ずっと意識はあったし、現実に私は生きているから。
なんだか突然いろんなことが起こり過ぎて
うまく対処しきれていないんだろう。

今わかっていることは、
今回のことが私の29年間の人生の中で最大の試練であるということ。
今までつらいこと、苦しいことはいろいろあったけど、
直接生命に関わるのは今回が初めてなんだ。
やはりこういうことがあると「生きてるってなんなんだろう」とか
「自分の存在価値って何なんだろう?」とか考えてしまう。
俺が生きていることは世の中にとって、いやそこまでいかなくても
だれかにとって、どのくらいの価値があることなのだろうか?
その価値は何をすることで高まるんだろう?
例えば自分が存在していなかったら世の中って何か変わるんだろうか?
みなさんも普段はそういうことを意識せず、何気なく生活しているんではないだろうか?
私ももちろんそうだった。
忙しくて考える余裕もないし、考えても簡単に答えはわかるもんじゃないから。
考える必要も感じなかったり、考えることがとても面倒だったりするかもしれない。

実際、はっきりした答えは全然見つかってはいない。
自分の価値を高めるということに対して、ぼんやりしたイメージはある。
自分の好きなこと、得意分野を伸ばすこと。
それはここ最近の私のテーマでもある。
ここのところは仕事だって好きなことしかやっていなかった。
ホームページも開設したからといって入場料があるわけじゃないし、
「自分の好きなことをやりたい」という思いだけで運営してきた。
私ももう30近い年齢だし、そろそろこれからのことを考えて、
安定して「お金が稼げる」男にならないといけないんだろうけど、
なんか妥協したくなかった。
夢が現実に負けるのだけはどうしても自分で許せなかった。
理想主義、現実逃避、そう自分で思ったこともあったけど、
結局どう捉えるかなんて他人が決めるんじゃなくて自分が決めることなんだ。
だから「理想を追う」ことに決めた。
うまくいかなくても決して「腐らない」ことにした。
もちろん今でもその思いは変わらない。
今回のことで逆に強くなった。
今回は最大のピンチだけど、自分を変えるための最大のチャンスでもあるんだから。
「がんばれ。お前ならやれる。今までだってできたじゃないか。絶対に負けるな」
って自分にエールを送るんだ。

手術後、社会復帰したら思いっきりやりたいことに集中してみたいな。
本気でやりたいことに集中して、そして極めたい。
これ以上ないくらい集中できたとき、自分でも「よくやったな」と思えたとき、
そのとき私は今よりもう一段上のレベルに到達してるのではないだろうか。

できるだけそういう未来のことをイメージするようにしよう。
手術がうまくいくかどうかとか、完治するかどうかは、
考えたところで実は全く意味ないんだよね。
考えて怪我が良くなるんならいいけど、そんなわけないし。
だから今大切なのは「考える」ことではない、
「信じる」ことなんだ。
可能性がどうこうではなく、
自分が良くなることをただひたすら信じる。
非科学的かもしれないが、私は「思いの力」
すなわち「イメージを現実化させる力」を信じている。

「絶対に良くなりますように」

・・・第二部へ続く

(手術後状態が良くなり次第、第二部をスタートさせます。お楽しみに)


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