わげしを都会につれでって
全世界が涙した!!・・・東京人になった茨城人の物語(2001年9月12日初公開)。
茨城人のみなさん。上京する前に必ず読みましょう。これを読まずに上京するなんて危険すぎる。東京生活はそんなに甘くありません。

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プロローグ・・・ある茨城出身者Aさんの場合

田舎に住んでいる者ならだれしも一度はトレンディードラマ(死語)の主人公のような生活に憧れるものだ。茨城では絶対無理なあのライフスタイルも東京へ行けば必ず叶えられる、そう信じて多くの若者が毎年茨城を去っていく。若かりし頃のAさんもその一人だった。

あれから10年の月日が流れた。「あれから10年も〜♪」・・・当時流行っていた渡辺美里の曲を思い出したりなんかして、月日の経つのは早いものだとつくづく感じるAさん。現在は地元茨城に戻り、結構茨城が気に入っているAさんも、あの時は茨城が大嫌いだった。というのも、Aさんが欠かさず見ていた当時のテレビドラマ「東京ラブストーリー」の「カンチ」や「リカ」の生活がめちゃめちゃトレンディー(ほぼ死語)だったため、茨城での生活とのあまりのギャップに茨城がとてもとてもダサく思えてしまったのだ。

当時高校3年で受験生だったAさんは、もちろん東京の大学を受験したのだが、見事にハズレてしまい、浪人が決定したのだった。今ではちょっと信じられないことだが、その頃の茨城には予備校がほとんど存在しなかったこともあって、Aさんは東京での一人暮らしを始めることになる。憧れていた東京生活の始まりだ。

茨城の中の茨城、某I町の町外れで生まれたAさんは、高校の同級生にも田舎呼ばわりされてしまうほどの超田舎者だった。東京の生活が茨城とは比べようもないことは充分理解していたつもりだが、実際に生活してみるとその違いは予想以上。生粋の茨城人であるAさんにとって、東京はまさに外国そのもの。そう、言葉の壁、生活習慣の違い・・・などなど、ありとあらゆるもの(言い過ぎかな?)が茨城とは違っていたのである。こんな外国みたいなところで生活していけるのだろうか・・・胸に大きな不安を抱えながらのスタートだった。

東京での生活が始まってまもなく、Aさんは決心する。
「郷に入っては郷に従え!」
(コンクリートジャングル東京で生き残るためには東京の生活習慣に馴染むことが何よりも大切なんだ。)
文化の違いに戸惑い、失敗を繰り返しながらも、Aさんは何とか東京の生活に適応していき、やがて立派な東京人に変貌していったのであった・・・

注意)
このドラマはフィクションであり、実在の人物、団体などとは一切関係ありません。
映画「私をスキーに連れてって」とも一切関係ありません。

用語解説)
わげし(わけし)・・・「若者」の意。「若い衆」がなまったもの。わかいしゅう→わがいしゅ→わげいしゅ→わげーしゅ→わげーし→わげし(笑)。茨城県西部では一般的に使用されている茨城弁の一つです(北のほうではあまり使わないようですが)

はじまりはいつも常磐線

緑の電車「常磐線」。
Aさんは関東鉄道常総線から取手駅でJR常磐線に乗り換える。
ここで気を抜いてはいけない。
もうこの瞬間から東京生活は始まっているのだから。

そう、常磐線で茨城弁は禁句なのである。

常総線の水海道以北では標準語は存在しない。
あたり一面に茨城弁の世界が広がっている。
水海道を過ぎ、守谷に入ったあたりから、ちらほらと標準語が聞こえ出し、JRに乗り換えたらそこは別世界。
オール標準語。

常磐線で茨城弁を喋ってしまうと、千葉県民から白い目で見られてしまう。
注意しよう。頑張って標準語で喋るか、喋れなかったら黙るしかないないのだ。
それが茨城県民の生きる道。
つらいだろうが、これも東京で生活するため。
Aさんは「だっぺ」などの方言を喋らない自信は多少あったが、
標準語っぽく話してもイントネーションだけは茨城弁であることを自覚しており、
常磐線ではほぼ無言で通していた。
だからといって東京人のように電車の中で寝るという習慣も持ち合わせておらず、
取手のキオスクで買った雑誌を読みながら常磐線に乗り込むのであった。

都会への玄関口「上野」に着いたら、完全に頭を東京モードに切り替える。
上野駅には常磐線以外にも、宇都宮線、高崎線、東北新幹線など田舎から来る電車が多いから、たまに東北弁なんかも聞こえてくるはず。
茨城弁よりも訛っている東北弁を聞いたりするとついホッとしてしまいがちだが、ここで気を緩めてはいけない。
なぜなら茨城弁を聞かれた途端に「田舎者」のレッテルを貼られてしまうから。
そう、東京人は田舎者に対して厳しいのだ。
自分も昔は田舎者だったくせに・・・

「おまえたち、田舎の心を忘れたのか!身も心も東京に染まっちまってさあ。」
心の叫びををグッと抑え、Aさんは東京で生活するため東京に染まる覚悟をするのだった。
「心を鬼にして茨城弁を捨てるんだ。」
そう、今日からAさんも東京人として生きるのだから・・・。

電車でGO!電車なしでは生きらせません。

東京と言えば通勤ラッシュ。
満員電車にいちいちストレスを感じてはいけない。
ラッシュなんか当たり前と思わないと東京では生き残っていけないのだ。

車社会、電車社会

これを読んでる茨城人のあなたは普段電車を乗る機会なんてほとんどないに等しいであろう。
なぜなら茨城ではモータリゼーションが進んでいて、アメリカとおんなじ「車社会」だから。
車社会の茨城では電車なんてうざくて乗っていられない。
というか、電車の本数が少ない。それに電車自体が少ない(笑)。
茨城では成人で免許を持っていない人を探すのはほぼ困難。
東京であれば車は一家に一台が普通だが、茨城では一人一台が当たり前。
だけど東京では電車こそが「庶民の足」であり、これに乗らないとどこにも行けないのだ。

純茨城人のあなただったら車を持ったらいいって考えるだろうが、それは無理な話。
茨城と東京じゃ状況が全く違うから。
そう、駐車場代が問題なのだ。
最低でも2万円。茨城人には驚きの高価格。
でも東京ではこれがノーマル。なんてアブノーマルな世界なんだろう。
Aさんはあきれて物も言えなかった。
茨城だったら部屋を借りれば、駐車場がついてくる。
それなのに、ただの白い線が書いてあるだけの土地に2万円も払うなんて・・・
Aさんは東京で車を持とうなんて甘い考えをさっさと捨てたのであった。

恐怖の自動改札

Aさんが上京した頃はちょうど自動改札が導入され始めた時期だった。
Aさんの故郷茨城では人がいない改札は無人駅の改札だけであって、
普通の駅の改札に人がいないのは驚きだった。
しかも自動改札未経験のAさんは自動改札の通りかたすら知らなかった。
正直、Aさんは駅員のいる端っこの改札を通りたかったが、
自動改札をさっそうと通り抜けてこそ真の東京人であるとの考えから自動改札にチャレンジするのであった。
自動改札の通りかたがどこにも書いていないことに東京の不親切さを痛感するが、
気を取り直して、とりあえず周りの人の様子を横目でみて改札のとおり方を観察する。
なるほど入り口らしきところに切符を入れればいいだけなんだ・・・
切符を入れたら、前に進んで出てきた切符を取ればOK!
最初は緊張してしまうがそんなに難しいことではない。リラックスしよう。
慣れれば簡単簡単。

でも、出るときは違うから注意しなければならない
改札を出るときは切符は出てこないから。
ついつい入るときのように切符が出てくるのを待ってしまわないように。
そんなことしていたら後ろがつかえて大渋滞になってしまう
くれぐれも気をつけなれればならない・・・汗。

正しい電車の乗り方

自動改札の次は電車の乗り方について。
茨城人のあなたでも電車の乗り方くらいわかるって?
まあ、とりあえず話を聞いて。
ホームでは黄色い線の内側まで下がるのは常識。
でもそれだけではなかったのだ!
電車を待つときは3列に並ばなきゃいけない。
しかも、ドアが開いたら、ドアの両側に移動して人が降りるのを待つのがルールなのだ。
茨城人はドアが開いたらすぐに乗ろうとしてしまう。
これは東京ではルール違反。
全員が降りる前に電車に乗ろうとするのは茨城人と関西人くらいしかいない。
どっちにせよ、東京では白い目で見られることはたしかなのだ。
全員が降りるのを待ってから、余裕を持って電車にのるように。

朝と夕方、これは間違いなくラッシュ。
茨城には存在しない満員電車ってやつだ。
人とくっつくなんて当たり前だし、雨の日なんか濡れた傘がズボンにつくこともしばしば。
でも怒ったら負けである。
例えオヤジの整髪料が服についても、クールに割り切るのが東京風。

それとくれぐれも痴漢に間違われないようにしないといけない。
「痴漢!」と言われたらやっぱり負け。
一度声を出されたらいくら言い訳しても無駄なのだ。
Aさんは痴漢と間違われないように、片方の手でカバンを持ち、もう片方の手でつり革を掴むことにした。
これなら超満員でも、痴漢だと誤解されなくて済むはずである。
1日も早くラッシュに慣れよう。

朝夕のラッシュ時以外、昼間の電車は空いてることも多い。
これでやっと席に座れる。
・・・が、席に座ったら何をすればいいのだろう?
クールな東京人なら昼寝するのが基本。
「えっ、電車で寝れるの」だって?そんなことをマジで質問しないように。
そんなの東京では日常茶飯事だ。
例えそれが10分程の道のりだとしても、東京人はすぐに寝ることができる特殊な人種。
電車に乗ったらすぐに寝れないと、一人前の東京人にはなれないので眠れるように頑張ろう。
落ち着きなくキョロキョロしてるとすぐに田舎者だとばれてしまう。
どうしても寝れないなら、本を読もう。
雑誌や小説、なんでもOK。
もしあなたが学生ならテスト前に参考書を読むのもクール。
もしあなたがオヤジと呼ばれてるなら、新聞をちっちゃく折りたたんで読もう。
やっぱり「日経」がクールだけど、無理は禁物。
日経読んでも意味がわからないなら、無理せず「ゲンダイ」や「東スポ」を読もう。
それはそれで「新橋で飲んでるオヤジ」っぽくてグッドなのだ。

プリバイリンガルを目指せ!

言葉の壁を乗り越えて

東京で生活する上での一番の壁はやっぱり「言葉の壁」
あなたが茨城弁をそのまま喋ろうものなら、例え真剣な話でも相手に大笑いされてしまう。
こっちは真面目な話をしてるのに、なんて失礼な・・・
茨城人のあなたは当然そう思うだろうけど、東京人からすれば茨城弁はかなりおもしろいらしい。
それを逆手にとって、茨城弁のまま「お笑い系」に走るのもありかもしれない。
今は亡き「つぶやきシロー」風に。
でも真剣に話してるときぐらい笑ってほしくないのが心情。
それならやっぱり標準語を覚えないといけない。
もちろんAさんも標準語をマスターすべく血のにじむ努力をしたのである。

人によっては標準語を覚えるのは英語を覚えるのよりも難しいようだ。
それは軟式テニスをやっていた人が硬式をやろうとすると軟式のクセがなかなか抜けず苦労するのに似ている。
そりゃあちょっと努力さえすれば「だっぺ」や「ごじゃっぺ」なんてのは簡単に治ってしまう。
だけどやっかいなのは「イントネーション」のほうなのだ。
Aさんは5年、10年東京暮らしをしていても見事に茨城弁のイントネーションが残っている人を大勢見てきたから、標準語のイントネーションをマスターするのがいかに難しいか、痛いほどわかっていた。

マスターするのに近道なんて存在しない。
努力の積み重ねだけ。
だが、Aさんはふと気を抜いたとたん、無意識に茨城弁のイントネーションに戻ってしまっている自分に気づくのだった。
それは想像以上にAさんを落ち込ませた。
「せっかく標準語を覚えたと思ったのに・・・何てことだ。」
早く東京人と仲良くなりたいのに・・・気持ちばかりあせってしまうAさん。
でもここでイントネーションを中途半端にしてしまうと、一生標準語を覚えられない。
前にも言ったように、ずっと東京に住んでいてもイントネーションがちょっと変な人が相当数存在しているから。
あせらず確実にマスターしよう。

帰省後に注意

せっかく覚えた標準語も茨城に帰省するときれいさっぱり忘れてしまう。
やっぱり長年使い慣れた茨城弁はいいものだ。
茨城に帰ったときくらい茨城弁を使うのもいいだろう。
敢えて覚えたての標準語をしゃべって、地元の人に披露するという手もあるけれど・・・。

ここで注意しなければならないのは帰省後だ。
お盆や正月、地元茨城を満喫した後に標準語に切り替えるのは一苦労だろう。
でもこれも訓練次第。
1年目、2年目、3年目・・・と東京生活が長くなってくると言語も簡単に切り替えられるようになってくるはず。
そうなってしまえばこっちのもの。
気分はバイリンガル。
地元茨城では「帰国子女」扱いなのだ。
そう、それこそがあこがれの「プチバイリンガル」。
21世紀、これからはグローバル時代だから、標準語と茨城弁の最低2ヶ国語ぐらい話せるように頑張ろう。
東京と茨城をまたにかけて活躍できるプチ国際人を目指すのだ!

ある朝目覚めると東京人になっていた・・・

東京での生活にだいぶ慣れたきたAさん。
なんとかやっていける自信もついたきた。
しかし、Aさんはある日気づいてしまったのだ。
東京で暮らす茨城人のあなたも遅かれ早かれそのことに気づくだろう。
それは・・・

ある朝の出来事

そう、それは前触れもなく突然やってくる。
ある朝、Aさんは目覚まし時計の音で目が覚め、顔を洗い、朝食にトーストとコーヒーを摂る。
今日もちょっと寝坊したようだ。
急いで朝食を摂ると、いつもの電車に乗るために駅までダッシュするAさん。
いつもと全く変わらない、あわただしい朝。

だがAさんはふと気づく・・・いつの間にか身も心も東京人になってしまっている自分に。

いつから朝食はパンになったんだろう?
昔は絶対に「米」だったはずだ。
朝食はご飯に味噌汁そして水戸納豆が定番だった。
子供の頃から親に「米食わなぎゃダメだっぺ。パンなんか食っても背伸びねえど。」と言われ続けてきたAさん。
おかげで身長は180cmまで伸び、なかでも茨城産コシヒカリが最高であるとの自負を持ち、そんな米を毎日食べられる家庭に感謝すらしていたのに。
だから米を食わない朝食は朝食と認めていなかったし、
パンはおやつ扱いで主食としては格下扱いしていたのだった。
上京前は、戦後50年も経とうとしているのにパンを食う奴は西洋かぶれだ、なんて思ってもいた。
それが今はヤマザキの「ダブルソフト」を当たり前のように食べている始末。

満員電車もいつの間にか普通になってしまった。
できるだけ階段に近い車両に乗るようになったのはいつからだろう?
ドアの両脇の場所が思ったより窮屈でないスポットであること気づいたのはいつからだろう?
茨城にいるときは運動以外に「走る」ことなんてなかったのに、スーツ姿で駅まで走ってしまうようになったのはいつからだろう?

異邦人だったAさんは、自分では気づかぬうちにすっかり東京人になってしまっていたのだ。
もうAさんを田舎者と呼ぶやつなんて誰もいない。
ずっと憧れだった東京人にやっとなれたといううれしさ。
「思えば結構頑張ったよな。標準語も覚えたし。」
最初は失敗ばかりだった。
笑われたことだってあった。
でもAさんは努力し続けたのだ。
そして念願の東京人になった。

Aさんの迷い、そして・・・

しかし・・・Aさんは考える
これでいいのだろうか?
俺の求めていたものはこんな生活だったのか?
来る日も来る日も満員電車に揺られ、夜遅くまで働きつづける。
昔のようにゆっくり本を読める時間なんてなくなってしまった。
せっかくの休みの日にも次の日は仕事だからと友人からの誘いを断ってしまう。
おしゃれな家具で飾った部屋も今では寝るためだけのものとなってしまった。
一人の部屋・・・孤独・・・迷い

そして、Aさんは愕然とする。
もしかして、俺が追いかけてきたものは表面的なかっこよさだったのかもしれない。
大切なものをどこかに置き忘れてしまい、ポッカリと心に穴が空いたような気分。
俺の本当にやりたかったことって何なんだろう?
そういえば最近はそんなことを考える時間もなかったっけ・・・

悩み、考え抜いた末、Aさんはそれを取り戻すことを決意する。
それは自分のルーツ、茨城に帰ることを意味していた。
そういえば茨城も結構いいところだもんな。捨てたもんじゃないよ。
東京で学んだことを糧に、地元で一花咲かせてやるか・・・
「茨城を変えるんだ」「小さなことでもいい。何かができるはず」
全く未知の国「東京」で一人生き抜いてきたAさんには自信があった。

エピローグ・・・茨城人ふたたび

上野駅発の緑の電車「常磐線」

やはり利根川を渡る頃には席はガラガラになっていた。
この時点で席に座っているのは東京ではマイノリティである「茨城人」たちだ。
「東京は大変だろうけど頑張れよ」
ついつい同じ茨城人を心の中で応援してしまう。

取手で乗り換え、関東鉄道常総線に乗り込むと聞き覚えのある言葉が聞こえてくる。
Aさんがあれほど忘れようとした茨城弁だ。
今はとても懐かしい。

常総線が音を立てて動き出す。
電車でない電車、ディーゼルエンジンで動く通称「機動車」
ディーゼルだからとにかくうるさいのだ。
そして
「ゆりかもめ」の次に高い運賃
取手から某I駅までは920円もする
東京から茨城よりも、茨城に入ってからの方がお金がかかってしまう不思議
さらに
一時は日本人よりも外国人の乗車率のほうが高いこともあった
というか7割が外国人だった
そのときは外国の電車に乗ってしまったのかと一瞬目を疑ったものだ
茨城も国際化したんだなあ、なんて思えるはずもなく、得体の知れない恐怖を覚えた

車社会の茨城ではもう、血迷ってもこの電車に乗ることはないだろう(というか乗りたくない)
「もしかしたら最後の常総線かもなあ」
そんなことを考えながらマックスコーヒーを一口すする

それから1時間後
某I駅に降り立つAさん。
ダサいお城の町だけど、かけがえのないAさんの故郷。
知らぬ間にマックやサイゼリヤ、ニセジョイフル本田「ホームジョイ」なんてのもできたけど、
Aさんが住んでいた東京と比べるとやっぱりダサい町であることに変わりはなく、
逆にそのことがAさんを安心させるのであった。

茨城を出て6年半、Aさんは再び生まれ故郷に帰ってきた。
そして・・・
東京はAさんの第二の故郷になった。


補足
※この作品は2001年秋、旧サイトにて公開されたものです。茨城王への移行にあたり、作者の手直しを加え、ディレクターズカット版として掲載しております。(2002.10.13)
※また、この作品には続編「わげしが地元に帰ったら」があります。当サイトには掲載されておりませんので、拙著「いばらぎじゃなくていばらき」をお読み下さい。







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