あの頃おめはスゴがった ~県内市町村の全盛期・黄金時代 第3回:鹿行編

県内全市町村の全盛期・黄金時代を独断で決めてしまおうという強引この上ない珍企画『あの頃おめはスゴがった』。

第1回の県北エリア編、第2回の県央エリア編につづく第3弾は・・・鹿行エリア編をお送りします。

なお、はじめて読む方は、まず第1回:県北エリア編の前半に書かれている「調査の目的」や「選考基準」を一読してから次に進んでくださいね。

第3回:鹿行エリア編

ところでみなさん「鹿行」って読めますか?「かこう」じゃないかんね(笑)。答えは「ろっこう」です。

茨城のエリア区分には県東という言葉はなく、代わりに鹿行という言葉が使われています。鹿行とは旧鹿島郡と旧行方郡を合わせた呼び名で、現在は5市となっている霞ヶ浦以東のエリアを指します。

ちなみに行方は「ゆくえ」じゃなくて「なめがた」だかんね。まちげーねーでくろな(笑)。

でも今まで鹿行や行方が読めなかった人でも大丈夫!「あの頃おめはスゴがった」を読破すれば、鹿行エリアの歴史や特色がばっちりわかっちゃいます。だいぶ長文だけどね(笑)。

鉾田市

鉾田市は農業が盛んなまちとして知られていますが、江戸時代は舟運がとてもさかんだったそうです。

これは東北や水戸方面から、北浦、利根川を利用し、江戸へ物資を送る輸送経路となっていたためです。鉾田には河岸(かし)とよばれる港(船着場)が作られ、舟運の中心として繁栄し、全盛期を迎えたのです。はい、おしまい。・・・というわけにはいきませんね(笑)。

この話には残念ながら全盛期を象徴するような出来事が登場しないんです。

他に交通関係ですと、鹿島鉄道(現在は廃線)や鹿島臨海鉄道という路線があり、両路線が通っているのは唯一鉾田市のみというのを考えると、そこから全盛期の話に持っていくことも考えられますね。

しかしながら、鹿島鉄道の鉾田駅と鹿島臨海鉄道の新鉾田駅は名前こそ似ているものの、乗換えができるような距離になく、むしろ鉄道によってまちが発展したという印象はほとんど受けませんねぇ。

ならば有名人関係はどうでしょうか?

鉾田市出身の有名人といえば「磯山さやか」でしょう!

磯山さやかが茨城出身芸能人として地位を確立したのが、今はなき「なまり亭」ですね。なまり亭は「Matthew’s Best Hit TV(マシューズ・ベストヒット・ティーヴィー)」というバラエティー番組の1コーナーで、司会はマシュー南こと藤井隆でした。

なまり亭は、現在の方言ブームや「秘密のケンミンSHOW(ケンミンショー)」などの先駆け的な番組ともいわれ、方言をしゃべってしまったら罰金が加算されているコーナーはとても面白かったですね。

このコーナーで磯山さやかの茨城なまりが人気を博し、磯山はなまり亭で最もブレイクした(しかも唯一?)タレントとなったのです。2005年の出来事です。

対外的な全盛期という意味では、この2005年で問題ないかと思われますが、「磯山さやか=鉾田出身」というよりは「磯山さやか=茨城出身」という意味合いが強く、これが直接的に鉾田の繁栄につながったかを考えると少々疑問が残ります。

そこで、初心にかえって、農業をもう一度見てみることにしましょう。

鉾田市は2006年(平成18年)度の農業産出額で、全国の市町村の中で第5位を獲得しています。もちろん茨城ではランキングトップです。作っている農産物もメロンをはじめ、イチゴ、さつまいも、水菜、ゴボウ、スイカ、トマトなど多岐にわたり、茨城の農業を牽引する存在となっています。

なかでも全国一の生産を誇るメロンは市がもっとも力を入れている農産物で、「メロン御殿」などという言葉もあるくらいですから、メロンの歴史から鉾田の全盛期を探ってみるのが一番の近道に思えます。

鉾田市のメロン栽培は、1963年(昭和38年)に数軒の農家がプリンスメロンを作り始めたのが最初だそうです。このプリンスメロンが大ヒットし、昭和40年代にはどんどん栽培面積が広がっていきます。そして、1977年(昭和52年)にアンデスメロンが登場すると、翌78年にはアンデスメロン部会が結成され、その後一気に栽培面積が拡大しました。

このように順調にメロン王国へと駆け上がってきた鉾田市ですが、その認知度はけっして高いとはいえません。メロンといえば有名なのはやはり夕張メロン。茨城のメロンが日本一という事実は茨城県民でさえ知らない人が多く、ブランド面においては相当な苦戦を強いられているのです。

そこに登場したのが茨城県の開発による新品種。その名も「イバラキング」(笑)。このサイトと同じ名前になったのは偶然でもなんでもなく、県知事の鶴の一声によるものだったそうです。

→参考:イバラキングという名のメロン(茨城王内の記事です)

「メロンといえば茨城」「メロンの王様」という思いが込められたこの新品種イバラキングですが、今年2010年に本格発売が開始されたばかりで、それなりの反響があったものの、まだ全盛期うんぬんのレベルにはいたっていないのが実情です。

そういうわけで、メロンの歴史の中から鉾田市の全盛期と呼べそうな出来事を選ぶとすると、1978年にアンデスメロンの栽培が始まった年がもっとも妥当かと思われます。

  • 鉾田市の全盛期:1978年(昭和53年) アンデスメロンの栽培を開始

ちなみにアンデスメロンは南米のアンデス山脈とは縁もゆかりもございません。もともとは「安心ですメロン」という名前だったそうですが、それはさすがにヤバイだろという話になり、語感が近い「アンデスメロン」になったのでした(笑)。

鹿嶋市

鹿嶋(鹿島)ときいて、全国の人が真っ先に思い浮かべるものといえば鹿島アントラーズですね。

Jリーグが始まる前、サッカーについて全くの素人の私は、サッカーといえば静岡や東京というイメージで、鹿島にサッカーチームがあることさえ知りませんでした。まあそれもそのはず、アントラーズの前身となる住友金属は1部と2部を行ったり来たりの状態だったそうです。しかし、その後Jリーグへの参加を表明し、スタジアムを建設したり、ブラジルのスーパースター「ジーコ」が加入したり、本田技研から選手を補強したりで、なんとかJリーグの開幕まで漕ぎ着けました。

そして、ふたを開けてみれば、開幕戦は名古屋グランパスを相手に5-0の圧勝。その後はあれよあれよの快進撃で1stステージを制覇してしまうのです。

その後のアントラーズの活躍はみなさんもご存知のとおりで、三冠(Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯)とJリーグ三連覇を成し遂げたチームはアントラーズしかなく、名実ともに日本一のサッカーチームとなっています。

このアントラーズの歴史の中で、いつを最盛期とするかですが、まちの熱狂や全国への波及効果という点で考えると、やはりJリーグが開幕した1993年になるかと思います。

ただし、この企画ではなるべく複数候補を挙げることを自らに課していますので、他に鹿嶋市の全盛期といえるものがないか歴史をさかのぼってみたいと思います。

まず、近現代を見ていきますと、当時茨城の陸の孤島ともいわれた鹿島を一大工業地帯に変貌させた「鹿島開発」のインパクトは大きいものがありますね。これに合わせた鹿島線の開通も大きな出来事だったと思います。

また、はるか昔まで歴史をさかのぼってみると、鹿島が存在感を高めていた時期があることに気づかされます。
全国各地に約600もある鹿島神社の総本社「鹿島神宮」は現在でも有名な神社の一つですが、この鹿島神宮が日本の歴史の中でも重要な役割を担っていた時代があります。

古代において、鹿島は東国(関東・東北)進出の前線基地でした。
その当時、鹿島近郊では砂鉄がとれ、渡来系の人々が製鉄技術を持ち込み、日本有数の製鉄拠点になっていたといわれています。
製鉄=武器の製造=前線基地ということになるんでしょうか。
そういえば、現在も鹿島には住友金属がありますが、何か歴史的な縁があるんですかね?

大化の改新」で有名な中臣鎌足も鹿島出身という説がありますし(大鏡による)、平安時代に神宮と呼ばれていたのが伊勢神宮の他に鹿島神宮香取神宮(千葉県)のみだったこと(延喜式神名帳による)などからも、鹿島の地が重要度の高い地域だったことがうかがえますね。

きっと当時の関東地方では一番の都会だったんでしょうね。まあ都会といっても関東自体がド田舎だったはずなので、たかが知れているかもしれませんが。

これまでの話を総合すると、日本における重要度という点ではこの時代の鹿島を全盛期にしてもおかしくないですね。ただし、歴史的な出来事がないので、ピンポイントで1年を選ぶのは難しいです(汗)。

となると、ここは鉄板で1993年のJリーグ開幕を全盛期とすることにしましょうか。

  • 鹿嶋市の全盛期:1993年(平成5年) Jリーグが開幕し、鹿島アントラーズが1stステージ制覇

神栖市

神栖市の全盛期を語るのに鹿島臨海工業地帯は外せません。

鹿島臨海工業地帯といいますと、現在の鹿嶋市内にあると思っている方が県内でも多くいらっしゃいますが、実は大部分が神栖市なんですね。地図で鹿島港を見ていただくのが一番わかりやすいですが、鹿島港といいつつ、ほぼ神栖市なのです。

鹿島臨海工業地帯の大部分を抱えている神栖市は、その分税収も多く、リッチなまちとしても有名です。これは住民サービスなどが充実しているということでもあり、引っ越してこられる方も多いようです。

ただ、鹿島開発以前は、その後工業地帯となる旧神栖よりも旧波崎のほうが栄えていたようで、どちらも農業と漁業が主体のまちのため、いわゆる商店街などが栄えているというイメージとは違いますが、波崎は1928年(昭和3年)に波崎町になっています。一方の神栖は1955年(昭和30年)にまず神栖村になり、町になったのは1970年(昭和45年)のことです。
この時代は千葉県の銚子に近い波崎のほうに地の利があったということでしょうか。

話を戻しまして、鹿島開発以外にも候補を挙げてみたいと思います。

まず、挙がってくるのは東国三社の一つ「息栖神社」です。東国三社とは鹿島神宮、香取神宮と息栖神社の三社の総称で、江戸時代には伊勢参りの「裏参り」としてたくさんの人が訪れたそうです。これは伊勢参りをした後に東国三社にお参りするというのがセットになっていたといえばわかりやすいでしょうかね。ただ、やはりどうしても鹿島神宮のほうが目立ってしまうので、これを全盛期に挙げるのは厳しいかなと思います。

他には、意外と知られていないことに「グー」で一世を風靡したエド・はるみが、実は神栖市(旧波崎町)の出身だったというのもあります。よってエド・はるみが24時間マラソンを走った2008年を全盛期の候補の一つとしてみることもできなくはありません。

でもエド・はるみが茨城の話をしているのを聞いたことがありませんし、実際、千葉や東京に引越ししているようなので、あまり本人の中には茨城出身という意識がないのかもしれませんね。よってこれを全盛期にするのもかなり難しいと言わざるを得ないでしょう。

そういうわけで、最初に戻り、鹿島臨海工業地帯関連から全盛期をセレクトしましょうか。そのなかでは、鹿島臨海工業地帯がスタートを切ったという意味で、鹿島開発の中心部分である「鹿島港」が開港した1969年(昭和44年)を全盛期に推したいと思います。

  • 神栖市の全盛期:1969年(昭和44年)鹿島港が開港

参考URL:鹿島開発のあゆみ(神栖市)

潮来市

潮来市は古くは石岡にあった「常陸国府」と常陸国一の宮である「鹿島神宮」を結ぶ中継地とされ、また、河川や湖に囲まれていることから水上交通の要所として栄えました。特に江戸時代は、東北諸藩から潮来を経由して江戸に物資が輸送されるケースが多かったため、仙台藩や津軽藩などの蔵屋敷が建てられ、全盛期を迎えました。遊郭も9軒あったそうです。

ただし、潮来の繁栄は江戸時代の中頃までで、元文年代(1736~1740年)に利根川の大洪水が起こり、利根川の本流が佐原(千葉県)側に移ってしまい、中継地としての機能を果たせなくなりました。昔は今と違ってしっかりした堤防があったわけではないので、大洪水が起こった後は川が以前とは違うところを流れるようになってしまうのも珍しくなかったんですね。

そして、明治時代になると陸上輸送がさかんになり、潮来の水運は壊滅的となったのでした。

参考URL:潮来の歴史(潮来市)潮来の観光の歴史(水郷潮来観光ガイド)

その後、潮来では若い女性が手漕ぎの「サッパ舟」で観光案内をする(=娘船頭さん)ことが広まり、観光地として知られていくようになります。

それを決定付けたのが、1955年(昭和30年)に美空ひばりが主演した映画「娘船頭さん」です。地元の娘船頭さんが東京から来た美術学校生と恋に落ちるというストーリーでした。

参考URL:美空ひばり「娘船頭さん」

歌詞には潮来や鹿島という地名も出てきますね。

1960年には潮来の伊太郎でおなじみ橋幸夫の「潮来笠」や花村菊江の「潮来花嫁さん」などのヒット曲が生まれ、その後も潮来子守唄(都はるみ)、潮来夜船(北廉太郎)、潮来船頭さん(マヒナスターズ)、潮来舟(大月みやこ)など潮来を歌ったご当地ソングが数多く生み出されます。

また、現在も行われている「あやめまつり」は1952年(昭和27年)からはじまり、当初はビール瓶などに花をいけて展示するものでしたが、潮来の知名度の上昇とともに今のような形になっていったようです。

では最後に潮来の全盛期を決めたいと思います。

まちの全盛期というと、江戸時代の初期ということになるでしょう。でも「娘船頭さん」の1955年や「潮来笠」や「潮来花嫁さん」の1960年も捨てがたいですね。非常に悩むところですが、江戸時代初期で潮来の繁栄を象徴するような出来事がないか調べてみたところ、とても印象的なエピソードが見つかりました。

それは、1700年(元禄時代)に水戸藩が御用金制度をはじめたときの話です。御用金とは、藩の財政不足を補うため農民、商人などから臨時に徴収したお金のことをいいますが、水戸藩の集めた御用金のうち、潮来の商人から出された献金額がなんと全体の3分の1を占めたというのです。この当時、茨城県内で潮来がどれだけにぎわっていたかがわかるエピソードですね。

よって、潮来市の全盛期は1700年に水戸藩が御用金制度を始めた年とさせていただきます。

  • 潮来市の全盛期:1700年 水戸藩の御用金のうち、潮来からの額が3分の1を占める

行方市

行方市の歴史でまちの全盛期につながりそうなもの探してみましたが、潮来のようにある時期にとても繁栄していたとか、歴史的に大きな出来事が起こったというのは見つかりませんでした。そこで、行方市が霞ヶ浦と北浦という大きな湖に挟まれた地形的に非常に特色のあるまちということに着目し、湖に関する事柄から全盛期を探っていくことにしたいと思います。

まず、歴史的に一番古いものだと、江戸時代の麻生藩

藩の規模としてはかなり小さい部類ですが、麻生藩は後に霞ヶ浦名物となる「わかさぎ」と深い関係があります。現在、わかさぎは漢字で「公魚」と書きますね。ひらがなで「わかさぎ」と入力して、漢字に変換すると「公魚」と出ますので、ご自分のPCや携帯で試してみてください。

このわかさぎが公魚と書かれるのは、三代藩主の新庄直好が幕府にわかさぎを献上したのがはじまりで、「公儀御用の魚」という意味で公魚の字が用いられるようになったそうです。

お次は大正時代。

鹿島鉄道(当時は鹿島参宮鉄道)が開通したときに、桃浦駅近くに「桃浦湖水浴場」が作られました。これはつまり霞ヶ浦のビーチで、当時は霞ヶ浦の水がキレイだったので、湖水浴ができたのですね。

なかでも桃浦は「桃源郷のような浜」という名前の由来からも、大変美しく、霞ヶ浦観光の一大拠点として人気を博しました。桃浦には歌人与謝野晶子が家族旅行に来た際に詠んだ歌も残されています。

昭和の全盛期というと、1987年(昭和62年)に霞ヶ浦の両岸を結ぶ霞ヶ浦大橋が開通したことでしょうか。それまで土浦方面へは霞ヶ浦の北側か南側をぐるっと回らなければ行けなかったのが、この橋によってかなりの時間が短縮されました。ただし、360円というバカ高い料金でしたね(苦笑)。それも、2005年(平成17年)には無料となりました。めでたし。

平成に入り、今現在、行方市は「ご当地グルメ」の先進地として商工・観光関係者の間ではよ知られています。ユニークな商品が数多く開発されていますが、なかでも一番有名なのが「行方バーガー」でしょうね。アメリカなまずを使った「なめパックン」、鯉の「こいパックン」、豚の「ぶたパックン」、そして、鴨の「かもパックン」と、ラインナップも充実しています。

さて、この中で最終的に何を選ぶか・・・ですが、日本第2位の湖であるにも関わらず、非常に知名度が低く、観光スポットとしても低迷している霞ヶ浦にもっと注目してほしい、そして、再び泳げるようになってほしいという希望を込めて、桃浦湖水浴場が開設された1926年(大正15年)を全盛期とするのはいかがでしょうか?

桃浦という非常に美しいネーミングがこのまま埋もれてしまうのも寂しいですし、何よりキレイな霞ヶ浦、泳げる霞ヶ浦を復活させるというのはとても夢のある話だと思うんです。

  • 行方市の全盛期:1926年(大正15年) 桃浦湖水浴場が開設される

鹿行エリアの全盛期・黄金時代 まとめ

県央エリア編の後半はだいぶぶっとばしましたが(笑)、今回は全体的にマジメな内容になりましたね。

それでは最後に鹿行エリアの全盛期を年代順に見ていきましょう!

なお、鹿行エリア全体の全盛期は、鹿島開発によって鹿島臨海工業地帯ができ、この地域が新たなイメージで生まれ変わったともいえる1969年の鹿島港開港にしたいと思います。

  • 潮来市の全盛期:1700年 水戸藩の御用金のうち、潮来からの額が3分の1を占める
  • 行方市の全盛期:1926年(大正15年) 桃浦湖水浴場が開設される
  • 鉾田市の全盛期:1978年(昭和53年) アンデスメロンの栽培を開始
  • 神栖市と鹿行エリアの全盛期:1969年(昭和44年)鹿島港が開港
  • 鹿嶋市の全盛期:1993年(平成5年) Jリーグが開幕し、鹿島アントラーズが1stステージ制覇

次回はいよいよ数が一番多い県南をやるしかないっすかねぇ。なにぶん市の数が多いので、2回に分けるかもしれません。一番少ないのが鹿行エリアの5市、県央エリアも6市でしたが、県南エリアは14市もありますからね。2回に分けても鹿行、県央より多いってことですよね。

では次回をお楽しみに~