あの頃おめはスゴがった ~県内全市町村の全盛期・黄金時代 第1回:県北編

現在、茨城の県庁所在地は水戸市にありますが、これをいったん白紙にし、再度県庁を決め直すとしたら、みなさんはどこがいいと思いますか?

やっぱり水戸、それよりつくば?、いや、そうじゃなくて・・・と議論が白熱しますよね。

そういえば、昔は茨城の中心はもっと北のほうで・・・とか、もっと昔は南で・・・とか、おらほーは関東の「ド・マンナカ」だ!なんてことになったりして、時代ごとの茨城の中心地の推移を追っていくのも結構面白いものです。

ただ、どちらにせよ話題が特定の市町村に偏ってしまうことは否めません。マイナーを愛する茨城王としましては、そこがちょっと物足りないところでもあります。

ならばこれを各市町村単位で見てみたらどうでしょうか?各市町村の一番輝いていた時期にスポットを当ててみるのです。

今はこのとおりのシャッター通りだけんど、むがしはすごがったんだかんな」的な話ってどこのまちにも必ず眠っているじゃないですか。

まあ、「昔はよかった」と過去の栄光を引きずって、現在を否定する「懐古主義」の方向に向けてしまう可能性もなきにしもあらずですが、いずれにせよ、一度過去の財産を掘り起こす歴史を知ることなくして、「こういう時代があったんだから自分たちもがんばろう!」とか「過去の歴史を現在に活かそう!」という発想は出てきませんから、とりあえずやってみる価値はありそうです。

県内市町村別 全盛期・黄金時代調査2010

さあここで登場するのが「ブラインド総合研究所」です。

先日の裏魅力度調査でいちやく名を馳せたごじゃっぺなシンクタンクといえばわかっていただけるでしょうか。

このブラインド総合研究所が独自の調査を行い、各市町村の全盛期というのを勝手に決めてしまいたいと思います(笑)。

調査の目的

ふるさとの歴史を知り、地元に興味を持ってもらうこと。また、それを現在に活かしていただくためのきっかけをつくること。

選考基準

  1. 必ず過去からセレクトすること。したがって、「今が全盛期」「これから全盛期が来る」というのはNG。
  2. 例え、どんなにしょぼくても、そのまちにとっての全盛期であればよいとする。
  3. 全盛期という場合、「昭和三十年代」や「明治初期」「1960年代前半」などのように数年~数十年単位で語られるのが一般的だが、ピークを一点に定めた方がわかりやすく、また、ネタ的にも面白いので、必ず1年単位で選ぶこととする。
  4. 全盛期を象徴する、もしくは全盛期のきっかけとなるようなインパクトの強い出来事がある場合は、その出来事を優先することとする。実際の全盛期(ピーク)とズレるため、本当の意味での全盛期とはいえないが、これも正確性・客観性を重視するよりもわかりやすさや話題性を重視したほうがより多くのみなさんに興味を持ってもらえると判断した結果である。

閲覧にあたっての注意点

あくまで「ごじゃっぺ観光協会」の調査なので、真に受けないでください。全く客観的ではありません(笑)。

第1回 県北エリア編

第一回目となる今回は県北エリア編となります。紹介する順番はなんとなく北のほうから・・・(笑)

北茨城市

北茨城市の全盛期を決めるにあたっては、ゆかりのある2人の偉人を抜きにしては語れません。

一人は近代日本美術界を代表する美術家岡倉天心、もう一人は童謡詩人として知られる野口雨情です。

岡倉天心は横山大観などとともに新しい日本画の創造を目指し、近代日本美術の発展に大きく貢献した人物です。現在も観光スポットとして知られる六角堂を五浦海岸に建設し、そこに日本美術院を移転しました。また、英語で書かれた『茶の本』により海外に日本文化を紹介しました。

一方の野口雨情は北茨城の出身で、『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『シャボン玉』『こがね虫』『証城寺の狸囃子』など多くの童謡を残しており、日本でそれらの作品を全く知らない人はいないでしょう。

どちらの業績を北茨城の全盛期とするか、なかなか甲乙つけがたいのですが、今回は北茨城という土地に直接関係する出来事を優先し、岡倉天心が「日本美術院を五浦への移転」した年としたいと思います。

  • 北茨城市の全盛期:1906年(明治39年) 岡倉天心が日本美術院の本拠を五浦海岸(六角堂)に移す。

もし野口雨情の活躍を北茨城の全盛期とする場合、1921年(大正十年)に『七つの子』『赤い靴』などの作品を発表した年が妥当かと思われます。

高萩市

現在の北茨城市、高萩市、日立市の大部分は、明治のはじめ多賀郡に属していました。

現在、このエリアの中心地域といいますと、まちの規模などから日立市の名前が挙げられると思いますが、実はこの時代、多賀郡役所が置かれていたのは高萩でした。

商業や文化の中心地とまではいかなかったと思いますが、郡役所が置かれたということは、少なくとも地理的な面、行政の面での中心地だったといってもよいでしょう。

よって高萩市の全盛期は多賀郡役所が設置された1878年にしたいと思います。

  • 高萩市の全盛期:1878年(明治11年) 多賀郡役所を高萩村内に設置。

参考文献:高萩市の歴史(高萩市観光協会)

日立市

日立といえば、地元では日製(にっせい)として知られ、日本を代表する総合電気メーカーである日立製作所のお膝元ですね。誰もが知っている日立製作所が、実は鉱山から始まったというのは、日立市民や日製関係者はともかくとして、多くの県民にはあまり知られていないようです。

この日立のシンボルといえば1914年に完成した大煙突を挙げる人が少なくありません(1993年に倒壊)。

当時世界一となる155.7mの大煙突は日立鉱山から排出される煙の煙害対策として作られました。直木賞作家である新田次郎の小説「ある町の高い煙突」のモデルにもなっています。

煙害といえば、現在、日立の代名詞になっているサクラも実は煙害対策として植えられたものです。

ところで、日立市の全盛期といった場合、煙突ができた年ではなく、以下の2つの年を挙げる人も多いようです。

  1. 1939年(昭和14年) 日立鉱山&日立製作所の発展による人口増加で日立市が誕生
  2. 1957年(昭和32年) 日立市を中核とする7市3町2ヶ村が「常陸工業地帯」に指定され発展が加速

どちらも成長期の日立を象徴する出来事かと思います。ただ、選考基準の4に照らし合わせたときに、歴史的なインパクトが大きいという点で、「大煙突の完成」を日立の全盛期としたいと思います。

  • 日立市の全盛期:1914年(大正3年) 大煙突が完成。

大子町

合併して現在のまちの枠組みができたときを全盛期とするのは、まあ無難といえば無難で、あまり面白みはありませんね。

ただ、大子町の場合、現在の人口が2万人強なのに対して、合併時の人口が43,124人ですから、なんと現在の倍以上も人が住んでいたことになります。

その後は徐々に人口が減少しているので、現在の倍以上の人口がいたというインパクトを重視し、大子町の全盛期は合併時の1955年としたいと思います。

  • 大子町の全盛期:1955年(昭和30年) 合併により大子町が誕生(現在の町域となる)。

他に、大子町の象徴ともいえる袋田の滝に(最初の)観瀑台ができた年というのも候補としては面白いかなと考えたのですが、残念ながら、いつ完成したのかがわかりませんでした。情報編集力には自信のあるブラインド総合研究所も、情報収集力はたいしたことがないようです(苦笑)

ちなみに、新しいほうの観瀑台は2008年の完成ですね。

常陸大宮市

常陸大宮市の全盛期を決めるのは、県北では那珂市と並んでもっとも難しい作業の一つとなりました。

新しい市なので、合併前の各町村で黄金時代がないか調べてみたのですが、高萩のようにその地域の中心的役割を担っていたということもなさそうでした。また、歴史的な事件というのも特に起こっていないようでした。

そんななかで過去の歴史を入念に調べてみると、現在の生活にも大きく関係しているものが江戸時代に完成したことがわかりました。それが「辰ノ口堰」です。

この堰は、「水戸藩三大江堰」の一つとして知られており、江戸時代初期(1649年)に建設されました。農業用水を下流域の水田に供給し、水害防止にも役立ちました。

なお、現在使われている可動式の堰は1982年に完成したものです。

また、周辺は辰ノ口親水公園として整備され、市民に親しまれています。現在は堰よりもむしろ親水公園のほうが身近な存在といえるのかもしれませんね。

  • 常陸大宮市の最盛期:1649年 辰ノ口堰が完成

常陸太田市

常陸太田市の全盛期は県北の全盛期だったといってもよいかと思います。

戦国時代に常陸国の戦国大名佐竹氏が本拠地を置いていたのが、現在の常陸太田市です。佐竹氏が当初支配していたのは常陸国の北部のみでしたが、18代当主で「鬼義重」ともいわれた佐竹義重の時代に常陸国の統一に成功しました。

ということは、当時の茨城県の県庁所在地は常陸太田になったということになりますね。このときが常陸太田市の全盛期であると同時に、県北の全盛期となります。

ただし、この時代は茨城県という線引きではなく、県内に常陸国と下総国(県西・県南の一部)があり、下総では戦国大名の結城氏がいましたので、現在の茨城全域を支配していたわけではありません。

その後、佐竹氏は本拠地を水戸に移します。そして、運命の分かれ目となる1600年・・・関ヶ原の戦いでは中立的な立場を取って参戦しなかったため、秋田県に国替えを命じられ、茨城の地から去ることになるのでした。

↓ここからは完全なフィクションです。

ちなみにこの国替えの際に、茨城の美人を佐竹氏がみんな連れて行ってしまったため、秋田には美人が多いそうです(いわゆる秋田美人)。一方の茨城県ですが、水戸・名古屋・仙台が「日本三大ブス」といわれていることかもわかるとおり、大変残念な状況になってしまっているわけなのです。どうしてあのとき佐竹氏は関ヶ原に参戦してくれなかったんだ!と嘆く茨城男子(特に県北)なのでした。

↑ここまでは完全なフィクションです。どうぞお気になさらぬよう・・・(笑)

  • 常陸太田市の全盛期:1591年 佐竹義重が常陸国内を統一。

東海村

東海村といえば、やはり原子力関連の話題になるでしょう。

今でこそ原子力関連施設といえば全国にありますが、日本で初めて原始の火がともったのが東海村ですね。

  • 東海村の全盛期:1957年(昭和32年) 日本で初めて原子の火がともる。

個人的には「いもジィ」の復活を選びたい気持ちもあるのですが、賛同を得られなそうなのでやめておきます(笑)。

那珂市

何をもって那珂市の全盛期とするか・・・これは常陸大宮市以上に悩みました。

過去の歴史をさかのぼったときに、瓜連地区に古くから信仰をあつめている静神社という有名な神社があり、この静神社関連で全盛期を決めるのが一番しっくりくるのでは・・・と当初はもくろんでいました。

静神社は鹿島神宮、香取神宮とともに東国の三守護神とも呼ばれていましたし、「常陸二ノ宮」という常陸国で2番目に位が高い神社とされています(一ノ宮は鹿島神宮)。

神社の案内などをみても、かつては多くの寺社がこの地に集まって霊場となっており、また、水戸から奥州につづく棚倉街道沿いでもあったため、門前町・宿場町としておおいに栄えたそうなのです。

ところが、ところがですよ・・・いったいこれがいつ頃なのかよくわからないんですよ(汗)。また、全盛期を象徴するような出来事が特に起こったわけでもなさそうなので、この静神社関連で全盛期を決めるのは困難と判断しました。

他に歴史的なものといえば額田城の築城というのもありましたが、全盛期といえるほどのインパクトはありません。

そこで今度は近現代の歴史を見ていくわけですが、合併を除いて、地域への影響度が大きそうなものは、1934年の水郡線の開通でした。ただこれも那珂市だけの鉄道ではないので全盛期というにはインパクトに欠けます。

さらに最近の歴史で那珂市ならではのものがないかと探してみたら・・・ありました!

笠松運動公園です。

笠松といえば、最近まで水戸ホーリーホックのホームスタジアムでもありましたし、なんといっても茨城の競技場の代名詞ですよね。学生時代にスポーツの大会で笠松を訪れたことがある人は少なくないはずです。

というわけで、那珂市の全盛期は茨城で開催される国体のために笠松運動公園が作られた1974年に決定となりました。

  • 那珂市の全盛期:1974年(昭和49年) 笠松運動公園が完成。

※ちなみに笠松運動公園は那珂市だけでなく、ひたちなか市や東海村にもまたがっており、公の所在地はひたちなか市ということになっています。しかしながら、メインスタジアムは全て那珂市にあることから、那珂市の全盛期として扱ってよいと判断しました。・・・いやぁ苦労したなぁ

ひたちなか市

ひたちなか市の全盛期というと、「ひたちなか地区開発」関連になるでしょうかね。

かつて、ひたちなか市は勝田市と那珂湊市という2つの市でしたが、このひたちなか地区開発のために合併して一つの市になったという経緯があります。

ちなみに開発が行われた場所は元々なんだったかというと、戦前は日本軍の飛行学校、戦後はアメリカの射爆撃場だったんですね。1182ヘクタールという広大な敷地です。

この地に新たに作られたものとして、国営ひたち海浜公園、北関東道、常陸那珂港、常陸那珂工業団地などが挙げられます。

ただ、それらを差し置いて、私が猛烈にプッシュしたいのが、ジョイフル本田です。

茨城のホームセンターの代名詞ともいえる「ジョイフル本田」。休日は家族で買い物に出かけ、買う予定のなかったものまでついつい買ってしまうという恐ろしいほどの品揃えを誇る、あの「ジョイフル本田」ですよ。

そのジョイフル本田のフラッグシップ店として、日本一の大きさを誇るのがニューポートひたちなか店なのです。

ジョイフル本田の中では超大型店といわれる店舗は現在全部で5つ。東京都の東京瑞穂店、 千葉県の千葉ニュータウン店、栃木県の 宇都宮店、群馬県の新田店、そして、茨城のニューポートひたちなか店。どれも東京ドーム2.5個分以上、駐車場も3000台以上止められる巨大店舗ですが、本拠地である茨城の店舗が一番でなくてどうするんですか!いや、もちろん一番なんですけどね(笑)。なんせドーム4.8個分、駐車場は6200台ですからね。

これぞひたちなか市の誇り、茨城の誇りです。

というわけで、ひたちなか市の全盛期はジョイフル本田が開店した1998年とさせていただきます。

  • ひたちなか市の全盛期:1998年(平成10年) ジョイフル本田ニューポートひたちなか店がオープン。

県北エリアの全盛期・黄金時代 まとめ

茨城県内全市町村の全盛期・黄金時代を勝手に決めてしまおうという調査の第1回、県北エリア編はいかがだったでしょうか?

自分で言うのもなんですが、結構タメになりますよね(笑)。正直かなり疲れましたが、今まで知らなかった歴史を知ることができ、とてもいい勉強になりました。

では最後に県北エリアの全盛期を年代順に羅列して終わりたいと思います

  • 1591年 常陸太田市&県北エリアの全盛期:佐竹義重が常陸国内を統一。
  • 1649年 常陸大宮市の最盛期:辰ノ口堰が完成
  • 1878年(明治11年) 高萩市の全盛期:多賀郡役所を高萩村内に設置。
  • 1906年(明治39年) 北茨城市の全盛期:岡倉天心が日本美術院の本拠を五浦海岸(六角堂)に移す。
  • 1914年(大正3年) 日立市の全盛期:大煙突が完成。
  • 1955年(昭和30年) 大子町の全盛期:合併により大子町が誕生(現在の町域となる)。
  • 1957年(昭和32年) 東海村の全盛期:日本で初めて原子の火がともる。
  • 1974年(昭和49年) 那珂市の全盛期:笠松運動公園が完成。
  • 1998年(平成10年) ひたちなか市の全盛期:ジョイフル本田ニューポートひたちなか店がオープン。

第2回は県央エリア編を予定しています。お楽しみに~

みなさんの考える全盛期は?

この調査はごじゃっぺ観光協会の出先機関であるブランド総合研究所が独自に行ったものです。

それぞれの市町村の全盛期を誰もが納得できる1年に絞ることなど、そもそも無理な話だと思います。ですので、今回の調査結果がみなさんの考える全盛期と一致しなくて当然でしょうし、また、それぞれが考えるいろんな全盛期の見方があったほうがむしろ面白いですよね。

・・・というわけで、ぜひみなさんの考える全盛期を教えてください!

客観的である必要はまったくありませんので、独断と偏見で自由にお書きいただいて結構です。ただし、あまりブラックなネタは勘弁してください(笑)。

コメントお待ちしております!

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