青木語録と秋の夕べ

タイトルは特に深い意味はありません。
秋分の日なので、なんとなく「秋の夕べ」(笑)
久々に「青木語録」について思い出す機会があったので、ちょっと書いてみようかと思いまして。

先日パネルディスカッションをさせていただきました。
「コミュニティビジネス」がテーマだったのですが、最後に司会者の方が「茨城王のサイトの中に『青木語録』というものがあって・・・」という話をされ、気に入っていた言葉をいくつか挙げてくださいました。

青木語録」という言葉を聞いたのは、実は自分でも久々のことでした。
そういえば最近読んでなかったなぁと思い、後日、青木語録のページを開いて、読み返してみたんです。
今読むとなんだか照れくさいですねぇ。
でも忘れていた感覚がよみがえるような感じで、それはそれで結構新鮮でした。
時代が変わっても色あせてねえべよ!
といっても、最後に書いたのが2004年なので、それから4年じゃ「時代は変わる」ってほど世の中は変わりませんけどね。

そもそも青木語録を始めたきっかけは何だったんでしょうか・・・

今となっては記憶が定かではありませんが、個人事業者である私は、当時、表面的には誰にも縛られないフリーな生活を謳歌していたものの、自分で自分をコントロールすることの大変さを身にしみて感じていました。
気分のムラ」によって、仕事の質・量とも左右されることが多かったですし(今でも多いですが)、また、見えないプレッシャーみたいなものに押しつぶされそうになったこともしばしばでした。
見えないプレッシャーというのは「なかなか思うような結果を出せないあせり」によって、自分で自分にかけていたプレッシャーのことです。
今と比べれば「落ち込む」ことも多かったです。

そういう状況の中で「自分を後押しする言葉」として青木語録が誕生し、その後に起こった「最悪の事態」によって、結果的に青木語録はさらにブラッシュアップされることになるのでした。
昔からの読者の方ならすぐわかると思いますが、最悪の事態というのは交通事故のことです。
あの、ある意味地獄ともいえる期間があったからこそ、青木語録のような自分を後押しする言葉の必要性が高まり、最終的に「いばらぎじゃなくていばらき」の出版につながっていったのだと思います。

結局のところ、人間というのは最終的に自分次第です。
自分に起きたマイナスのことを、人のせいにしたり、社会のせいにするのは簡単です。
でも、その考え方をすると、人生が最高につまらなくなります。
だって、人のせいで自分に悪いことが起きた、だから、その人が解決してくれないと悪いことは取り除けないってことになりますもんね。
自分はなんてかわいそうなんだ。自分は被害者だ。
実は本当に被害者なのかもしれません。
しかし、そういう考え方をしてしまうと、問題は自分の力ではどうにもならないことになり、さらに、その問題を解決しようとするなら、自分ではない誰かに解決してもらうよう働きかけなければならないことになります。
これってすごい面倒くさいです。自分への無力感だってつのるでしょう。
たぶん私も20代の中盤くらいまでは、無意識にこういう考え方をしてしまうことが結構あったのではないかと思います。

しかし、自分で人生を切り開いていかねばならない状況になったとき、こういう考え方では問題はなかなか解決できないことに気づきました。
なぜなら、この「人のせいにする」考え方でいくと、問題の原因は自分ではなく他人にあることになりますので、自分を磨いていく、自分を成長させていくという方向になりにくいからです。
問題が自分にあれば、自分を変えようという方向に意識が働きますが、問題が他人にあるなら自分を変える=成長させる必要はありませんものね。
逆に、自分を成長させることによって、より多くの問題を解決していけるという考え方になると、人生そのものがエキサイティングになります。
社会そのものは変わらなくても、見え方が変わるんですね。
そして、社会に対して、自分に対して、前向きになります。
社会にコントロールされていたと感じていた自分の人生も、自分でコントロールしている感覚に変わります。

そのことに気づいた私は、人のせいにすることをできるだけ少なくするよう意識し始めました。
そして、その問題解決のために自分は何ができるかにエネルギーを使うように心がけました。
でも何か悪いことが起きたときに全て「自分のせい」にするのはなかなかしんどいものがあります。
また、前述の交通事故のようにたとえ自分のせいで起きたことでも、あまりにつらい現実は受け入れがたいものです。

青木語録はこういうときに使う言葉として作られました。
普段好調なときはあまり響かなくても、つらいときや不安なとき、迷ったときに読むことで、少しでも自分を奮い立たせられればという思いで考えました。

実際、私は青木語録に幾度も励まされた気がします。
冷静に考えると、自分の作った言葉に励まされるというのはかなり変ですね(笑)。
私が作った本人=作者ですから、直接その言葉に励まされるというよりも、その言葉を作ったときの気持ちを思い出して、がんばろう!という気持ちに切り替わるような、そんな感覚に近いでしょうか。

今回、久々に青木語録を取り上げてみて、また、新しい言葉を考えてみたくなりました。
でも、いざ生み出そうとしてもなかなか難しいですね。
こういうのって普段生活する中での「気づき」から生まれるものですから、意識して作ろうと思ってもそうそう思いつくものではありません。

まあ、最近の世間の動きから、青木語録を作るとすれば「情報は鵜呑みにしないこと」ですかね。
もしかしたら昔同じような言葉を青木語録に掲載していたかもしれません。汗
一応、2つの意味を込めています。

一つは情報操作に対する警告です。特にテレビの情報にはうまく誘導されてる気がしますもんね(選挙とか)。
今はネットがありますので、私はテレビで得た情報も一度ネットを使って自分で確認するようにしています。
昔は同じニュースなら、テレビでも新聞でも同じだと思っていましたが、実はそうじゃなかったんですね。
それをいうならネットの情報の方が信用ならないという人がいますが、たしかにそうです。
ですので、ネットでもテレビでも情報を鵜呑みにせず、多角的に見て判断するべきだと思います。
自分では判断がつかないという場合は、自分が信頼できる、または自分の感覚にフィットする「目利き」を何人か探しておいて、その人の判断を参考にするのがよいでしょう。

もう一つは、自分の中にブレない軸を持とうという提案です。
コマでも野球のバッティングでも軸は非常に大切ですよね。
人間でもそうじゃないかと思います。
今は情報過多の時代であり、価値感も多様化していて、何が一番正しいのか、何がベストなのかは、人によって変わります。
昔ならみんなが同じことをやって同じ方向を目指していたので、流れに乗っていれば安心でした。
でも今の時代は軸がしっかりしていないと思わぬ方向にすぐに流されてしまいます。
こういう時代だからこそ自分を見つめなおし、自分の使命って何なのか、自分の求める幸せって何なのか、自分の生きる意味って何なのかを真剣に考える必要があるように思います。
それは自分との対話であり、究極の自分探しと言ってもいいんじゃないでしょうか。